
日本東半分沿海地図(部分)
伊能忠敬 作 文化元年(1804)
文政12年(1829)鷹見忠常書写 鷹見家歴史資料
佐原(現千葉県佐原市)の酒造家伊能忠敬は、寛政6年(1794)49歳で隠居、翌年江戸に移り住み幕府天文方の高橋至時に入門する。そのわずか5年後、手弁当で蝦夷地・奥州街道の測量の旅に出発した。この第1次測量以後、忠敬は、10次17年間ににわたって根気強く「国土の正確な形」を把握する測量を実行し、文化14年(1817)江戸の実測でその作業を完了している。
本図は、忠敬が、第1〜4次測量の成果を表現するため製作した図の写しで、書写者は鷹見泉石。この伊能図は、11代将軍徳川家斉の上覧するところとなり、その完成度の高さがおおいに評価された。以後、忠敬の測量事業は、幕府直轄事業に格上げされて、彼自身、幕臣に登用されることととなったのである。
江戸時代、伊能図は、幕府の占有地図として秘蔵され刊行はおろか書写さえも制限されていた。また、幕府に上呈された伊能図はそのすべてが罹災していまっているため、書写ながら本図の資料的価値は高い。