難易度別ぬり絵~河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)~解説付き

更新日:2020年11月30日

河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)とは?

河鍋暁斎(1831-1889)は、古河生まれの画家です。江戸で育った暁斎は、幼い頃から絵にしたしみ、7歳で浮世絵師の歌川国芳、10歳で駿河台狩野派の前村洞和、11歳で洞白陳信(とうはくのりのぶ)のもとに入門します。
その後、古画・漢画から西洋画まであらゆる絵画を研究し、暁斎独特の絵画世界を展開、59歳で亡くなるまで、たぐいまれな技量を誇る天才画家として活躍しました。

天然痘が流行したときに河鍋暁斎も描いた疱瘡絵

疱瘡絵(ほうそうえ)は、天然痘を病んだときに、呪力(じゅりょく)を発する錦絵(にしきえ)で、病除けや悪魔祓いになるような英雄、呪具(じゅぐ)、おもちゃなどを赤色に印刷した錦絵です。かつては天然痘(疱瘡)を病むと、その部屋を赤くしつらえ、疱瘡神をまつる棚をつくり、そこに張り子のミミズクやダルマを飾るとともに、貼っていたようです。河鍋暁斎の『暁斎略図』にも、その図柄のひとつが描かれており、犬は「病が往ぬ(いぬ)」ように、ダルマはすぐに起き上がる回復を願ったもののようです。

疱瘡絵ぬり絵

ぬり絵(色塗り前)

疱瘡絵見本

ぬり絵(色塗り後)

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琴棋書画図(きんきしょがず) 河鍋暁斎『暁斎画談』より

病魔をもたらすものを、かつてわたしたちは神ととらえていました。とりわけてその神は、古くは鬼と考えられていたようです。鍾馗は本来、鬼を退治するように描かれることが多いのですが、琴を奏でる、書画をたしなむ、囲碁をうつなど、河鍋暁斎は文人たちのつどいである琴棋書画のようすに仕立てました。

鬼ぬり絵

ぬり絵(色塗り前)

鬼のぬり絵見本

ぬり絵(色塗り後)

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難易度の高い 「駿河台狩野洞白氏邸宅の図」 河鍋暁斎『暁斎画談』より

「駿河台狩野洞白氏邸宅の図」は、暁斎が11歳で入門した洞白陳信の工房のようす。暁斎はいずこに。

絵を学ぶぬり絵

ぬり絵(色塗り前)

絵をまなぶ見本

ぬり絵(色塗り後)

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超難易度高し! 「上野不忍ケ岡三河屋ニテ、其角堂書画会ノ席、暁斎縛サルルノ図」 河鍋暁斎『暁斎画談』より

狩野派の技法を習得した暁斎は「洞郁陳之(とういくのりゆき)」と号し、狩野派の絵師として活動しますが、生活のために「狂斎」と名乗って戯画・狂画を描くようになります。明治3年10月、上野で開かれた書画会において、酔って描いた風刺戯画がもとで、逮捕されて投獄されてしまいます。そんなようすがこの風景。以後、「狂斎」あらため「暁斎(きょうさい)」に。

捕まるぬり絵

ぬり絵(色塗り前)

暁斎つかまる見本

ぬり絵(色塗り後)

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